正確さ・流暢さを競う時代は終わった
表紙に「英語コンプレックスよ、さようなら」とあるように、本書は脱・英語コンプレックスのためのエッセイとなっている。
著者は子供のころ、ホームステイに来た外国人と英語で話した経験があり、これが違和感としてずっと心に残ったという。なぜ日本文化を学びに来た人と英語で話すのか。ここから著者の英語コンプレックスへの問いがはじまる。
この「英語コンプレックス」というのは、10代20代の人にはピンとこないかも知れない。日本のサブカルチャーが世界を席巻した時期に育った若い人たちは、英語にコンプレックスを持つきっかけがほとんどない。日本に来る外国人たちも変化していて、当然のような顔をして英語で話しかけてくる人は少なくなった。
しかし、「アメリカに追いつけ追い越せ」などという社会風潮の中で思春期を過ごした30代40代の人たちにとっては、英語コンプレックスは思い当たるところの多いテーマではないだろうか。
09年から小学校で英語教育がはじまっているが、その英語コンプレックス世代が親世代に該当している。本来なら英語コンプレックスと無縁の小学生たちも、親を経由してコンプレックスを抱え込むかも知れない。そんな懸念がある中で、本書は時宜を得た出版といえるだろう。
結局は、何のために英語を学ぶのかという素朴な疑問に行き着く。「ぺらぺら」という言葉に象徴されるような「ネイティブの偽物」を目指すのか、それとも「異文化の人々と対等な立場で付き合い、共存の道を探る」ために学ぶのかという話である。